はじめまして、関西に住む青木です。
ふとした思いから、自らの祖先は誰なのかという疑問を抱き、人の力を借りるのも先祖のためにどうかと思いこの3年ほど、このサイト含め独自に研究を続けてきましたが、いまいちはっきりせず、頼みの綱であった祖父も今は亡き人になってしまったので、ここに投稿させていただきました。
その祖父より聞いた情報、そして今まで調べた情報を下記に記すので、判断してもらえれば幸いです。
まず、我が家の家紋は抱き茗荷で、祖父の出身地は福岡とのことです。
関西方面に出てくるときにいろいろあったらしく、今は地元の浄土真宗本願寺派となっていますが、もともとの宗教は恐らく浄土真宗か何か、浄土系であったようです。
曽祖父、曽々祖父くらいまでは確実な家系図もあり、またそこそこの資産家でもあったので映像をはじめ様々な記録もあるのですが、問題はその前になにをしていたか。
そして、起源となる祖はだれか。
抱き茗荷の青木氏として当てはまるかもしれないのは、五家五流の青木氏(施基皇子、二宮氏家紋説)、藤原秀郷流青木氏(戸奈良宗綱の流れをくむ、青木行勝、行村、藤原支流説)、第3流(地名説)、加えて九州ということで日向青木氏、黒田藩摂津青木氏の何らかの関係者という説。
賜姓青木氏は何かあって九州に移動した場合を除き、場所的に自分の研究上違う確率が高いのですが、藤原秀郷流青木氏、日向青木氏、摂津青木氏とどれも可能性の面では捨てきれないものばかり。
福岡、九州には青木という地名もいくらかあり、かつて博多区には青木村という地区があったともあります。
また、運よく空港近くの福岡市博多区青木には隣接して浄土真宗の寺もあり、ここが出身地なら単に地名からとっただけの明治以降の苗字なのかなという思いもあります。
いくら地元指折りの資産家と言えど、地名にまでなることは無いでしょうし。
また、その博多の青木村も、青木氏が集まってできたものなのか、長野の青木村のように自然からついたのか不明です。
調べれば調べるほど、諸説出てきており、何がなんだかわからない次第。
苗字も家紋も有名どころで確定困難。
おまけにずっとそこにいたのかも良くわからず、あるのはちょっとした兄弟間のお家騒動を脱して復興したと言われている口承に伴う大正か明治かからの記録のみ。
よくわからない乱文となってしまいましたが、これらから何かお分かりのことがあれば、ぜひ教えていただきたいです。