長野県千曲市桑原の父の実家のルーツを知りたいです。
菩提寺は千曲市大雲寺(曹洞宗)、過去帳で江戸時代中期まで辿れるようです。
曽祖父以前は代々久右衛門、又右衛門を襲名しています。紋は「丸に蔦」、
屋号は「車や」、裏手に水車の設備の跡が残る精米所、表は養蚕農家を表す
ウダツの上がった3階建て(最上階は換気用)で北国西街道に面しています。
建物は明治期のものです。
父は官立の上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)出身です。
因みに数軒上には旧松代藩士の関家(本家)がありその下方に関家の分家が土塀を連ね
父の実家がその下にあります。
私の祖母の実家が関一門です。因みに文政年間に関(本家)の次男が紀州家家臣葛山八郎衛門(八百石)として養子に迎えられています。
江戸期の大半を関家が桑原村の名主庄屋を占め明治に入ってからも本家が区長、分家が戸長をやっていました。
青木家では久右衛門が寛文5年(1665)に長百姓として村誌に名を残しています。
昭和に入って祖父が桑原村の助役、戦後更埴市となって始めての選挙で伯父(父の長兄)が市議に当選しています。
戦前まで大地主だったことは間違いないです。
父に先祖は「猿が馬場峠警護の侍」と聞いたことがあります。
信じている従兄弟たちもいますが私は疑問に思っています。
あるとすれば松代藩真田家家臣ではなく(松代藩武家屋敷の巡回コースに青木家がありますが)むしろ川中島藩森家の残党ではと思っています。森家と関家は一門ですし、同じ期織田信長の家臣団に青木があります。
因みに桑原の関家の当主は代々新右衛門長○です。
我が家は私の代で絶えますが良い家系であれば娘に伝えます。