>家紋は丸に三柏
>私の祖父の実家は、埼玉県深谷市児玉郡
>先祖のお墓は同じく児玉郡美里町の勝輪寺にあります
東京にお住いの武蔵の青木さん 今日は。始めまして。
これからもよろしくお願いします。
埼玉は中心地ですが、東京にも、昔は武蔵の国でしたから「青木氏」が多いですよ。
埼玉は、オーイ青木さん”と呼べば、”ハーイ”と答える位ですよね。
私も若い時は、先祖は「伊勢青木氏」ですが、埼玉の草加の八潮に居ました。
お家は、柏紋ですので、一部に私と同じ血が流れていますよね。
サイトには、膨大な青木氏に関する情報が在ります。
ご先祖の生き様を何とか描きだし、未来の末裔のロマンとしたいと考えています。
さても、お家のご先祖にご興味をお持ちに成ったとの事ですが、誰しも何時か自分の先祖の事を知りたいと思う時が必ず来ます。
最近の遺伝学的に観ても、親と血液型が同じであれば、その親の遺伝子の80から90%を引き継いでいる事に成ります。最早、これは、分身の領域です。
「分身」と云う事は、「先祖=自分」である事を物語っている事に成ります。
従って、当然に、”「過去の自分」”を知りたくなるのは「必然的な心の変化」と成ります。
お家は、その「心の過程」に到達した事に成る訳ですから、その心を純真にして大切にする事をお勧めします。
その為には、青木氏サイトは是非にご協力させて頂きます。
何なりとご遠慮なくお尋ねください。
では、ご質問に入ります。
そもそも、青木氏は、「五家五流皇族賜姓族青木氏」、「特別賜姓族の藤原秀郷流青木氏 116氏」、「皇族青木氏」、「室町期末期」と「明治初期」の「第三の青木氏」から成り立っています。
(研究室とルーツ掲示板等をお読みください。全ての事が記録されています。膨大な資料ですからゆっくりと少しづつお読みください。)
つまり、「4つの流れ」が在ります。
昔は、「氏家制度の社会」でしたから、「氏や姓」が異なれば、「棲み分け」をしていました。
依って、どの流れの青木氏であるかは情報が在れば全て判ります。
さて、お家の情報から、結論から先にお答えします。
お家のご先祖は、「柏紋」ですから、元は「神職の青木氏」です。
この「柏紋の神職」は、次ぎの経緯で発祥しました。
そもそも、「青木氏の守護神」は、「伊勢神宮」の「皇祖神」の「子神の祖先神」の「神明社」です。
この「青木氏の独自の守護神の神明社」は、全国に500程度建立されています。
この神明社はこの「二つの賜姓族」の「青木氏」が朝廷より命じられて「自分の氏の守護神」として全国主要な地域に安寧の為に建立したのです。
其処の「神明社の神職」は、全て「青木氏の者」が「神職」と成っているのです。
中には、「皇族賜姓族の青木氏」だけでは、500もの「神職」を配置する事は出来なかった為に、この「青木氏」と「賜姓族の同族の佐々木氏」も「青木氏の神明社の神職」と成っているところがあります。
主に北陸地方に多いのです。
この「神職の青木氏」は「五家五流皇族賜姓族の青木氏」から発祥しています。
一族から、神職に成る者を決めて、各地に配置していたのです。
つまり、お家は,その末裔です。
「五家五流の皇族賜姓族青木氏」とは、近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐の「五つの国の青木氏」です。
「皇族の第四世族内の第六位皇子」が、[5代の天皇」から「青木氏」を賜り、この「五つの国の守護王」と成って配置された「皇族の者の臣下族」です。
「天智天皇」から「光仁天皇」(伊勢青木氏)までで発祥した「高位の朝臣族の臣下族」です。
この氏は、「三つの発祥源」と呼ばれて、日本の「侍の発祥」、「武家の発祥」、「国策氏の発祥」の三つの元と成った氏です。
ですから、「侍の元」は、この「青木氏」が最初なのです。「侍の元祖」です。
この中で、「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」と「甲斐青木氏」が生き残り、他の同族の二つの氏は「源平合戦」で滅亡しました。
そこで、「特別賜姓族藤原秀郷流青木氏」は、この「皇族賜姓族青木氏」と親密に母方で繋がる同族です。
本来は、この「柏紋の青木氏」は、上記の「二つの青木氏」の「近江と美濃の青木氏」は滅亡衰退しましたので、「皇族賜姓族青木氏」の「伊勢青木氏」か「信濃青木氏」ですが、お家は、関東の武蔵の国に定住していますので、「特別賜姓族青木氏」であるかも知れません。
そして、「特別賜姓族青木氏」は、その領国は「武蔵の国 埼玉県」の入間地域にその宗家が居て、その周りに半径を横浜神奈川までとして、螺旋状に取り囲み「宗家」を護っていたのです。
当に、ご先祖がお住まいに成られた地域は、「秀郷流青木氏」の本家筋が住んでいた地域です。
ここにお家の「青木さん」が居る事は、そのルーツは大まかに判ります。
この付近はそう云う地域です。
この「秀郷流青木氏」は「第二の宗家」と呼ばれ、この藤原秀郷一門を指揮していました。
これらの事は、研究室に論じていますし、ルーツ掲示板にも論じていますので、関係する処からお読みに成ってください。詳しく判る様に成りますよ。
検索で「柏紋」とすれば沢山のレポートが出てきます。
又、左のメニューからもお家の事が観る事も出来ます。
さて、そこで、お家は、この「二つの青木氏」の同族のどちらからなのかと云う事なのですが、それを判断するには、一つは武蔵、二つは寺の宗派、が絡んできます。
恐らくは、「二つの流れ」の「同族の青木氏同士の血縁族」だと観られます。
この同族の116氏から成る「秀郷流青木氏」は、「五家五流の皇族賜姓族の青木氏」の「全国の神明社建立」の仕事を、「円融天皇の命令」で手伝いました。
その為に、特別に、同じ家柄身分官職官位等一切を与えて、「秀郷の三男の千国」に「青木氏」を賜姓して、同じ役目の「皇居と天皇の護衛団」を命じたのです。
そこで、「伊勢」か「信濃」からの「神職の青木氏」が、この武蔵に建立した「神明社の神職」として赴任して、そこで、「秀郷流青木氏」と「同族血縁」をした「青木氏」ではないかと観られます。
「二つの青木氏」の「同族の融合族」です。
この「融合族の末裔」が、「埼玉と茨城と千葉」には大変多いのです。
ところが周囲に「神職」でありながらも、”寺に墓所を持っている事”からも察しが付きます。
「神明社神職の場合」は、「神道」ですので「寺の墓所」は本来は持ちません。
特に、青木氏の神職は掟で持つ事は出来ないのです。
そこで、児玉郡の美里町の勝輪寺の墓所のある寺で、その宗派は真言宗ですね。
「五家五流皇族賜姓族の青木氏」は、全て「密教浄土宗」です。
「特別賜姓族の秀郷流青木氏」は、「浄土宗」と「浄土真宗」です。
この「仕来り」に縛られています。絶対に破る事は自滅の行為でした。
ところが「藤原秀郷一族一門」は、「総紋」を「下り藤紋」として、守護神は「春日神社」です。
然し、ただ、一度、換えられる事が関東で起こったのです。
それで江戸期初期には、何らかの理由で「宗派換え]をしている事が考えられます。
そもそも、真言宗は弘法大師の和歌山の高野山ですが、江戸期前後に関東に布教を強め、信徒争奪の曹洞宗と「宗教戦争」をした経緯があったのです。
「青木氏」の中でも、掟を破って追放されながらも、「甲斐武田氏系青木氏」が、室町期末期にこの「宗教戦争」の事で「宗派換え」をしています。
恐らくは、「柏紋族の青木氏」は、古来より「神道」でありながら、江戸期頃からの「墓所と檀家寺」を持っている事は、「融合族」の上記の「青木氏」である事が頷けます。
それは、秀郷流青木氏の融合族であるからこそ、この掟に強く縛られなかった事が頷けます。
古からの「慣習仕来り掟」に縛られない立場に成って居た事を物語っています。
周囲のお墓は「柏紋」で無かった事はそれは其れで正しいのです。
恐らくは、周囲は一門の領国ですから、「秀郷流青木氏の墓所」である筈です。
「116の家紋」から成り立っています。恐らくは、埼玉の本家筋の枝葉末裔が住んでいた地域です。
ですから、主要8紋か、副主要紋の合わせて16紋の家紋である可能性が高いと観られます。
周囲の青木さんの「墓所の家紋」が何であるかを更に調べるとより明確に成る筈です。
然し、「秀郷流青木氏」は墓所を持ちますので、「柏紋」でありながらも墓所を持つ事が出来るのは、この掟に縛られ難い「融合族の証」です。
普通は、「神職」の場合は、一族から配置の為に赴任してきているのですから、元に戻る筈です。
ところが、赴任者は戻った事が考えられますが、そこで秀郷一門の青木氏と血縁した「末裔」の「子供」と「孫」は残ったのです。
むしろ、「掟」に依り戻れなかった事が考えられます。
それは、戻ると四家制度と云う仕来りに強く縛られていた事から、現地末裔は戻る事は出来なかったと考えられます。
その「現地の末裔一族」が戻らずに「武蔵」に定住している事は、その末裔が、「棲み分け」を前提としている限りは、「秀郷流青木氏」と血縁した事に成るのです。
この武蔵の周囲には、「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」が「伊豆」に定住しています。
ここから、元は赴任した事も考えられます。
何れにせよ、お家は、共に「秀郷一門の青木氏」の血筋を引く同族の「伊勢青木氏」か「信濃青木氏」の何れかの子孫と成ります。
「丸付き紋」ですので、この現地に残った「柏紋の本家筋」の「分家の支流族」の「枝葉孫」であると観られます。
当時は、「皇族系の氏」の者が護る「最大の義務」は「純血性」を護る事にあり、この為に「同族血縁」を繰り返しました。
これは是非守らなければならない「高位の氏」の「皇族者 朝臣族」の「慣習掟仕来り」の宿命でした。
これを破ると一族から「追放の憂き目」を受けて、生きて行くことは出来ません。
つまり、お家は、元は神職で、伊勢か信濃青木氏と秀郷流青木氏との「融合族」です。
詳細は、是非、他の関する論文からお読みください。
「サイト内の検索」をお使いください。
他に何かの情報が在れば何でも結構ですからお便りください。
それで、このどちらかかは判る事に成ります。
兎も角も、歴史の事で判らない言葉等の事が多いと思われますので、判らない時は、研究室とルーツ掲示板や左メニューや家紋掲示板から選んでお読みください。
お家のルーツの事を一度に全部ここでは書ききれませんので、是非、お読みください。
そして、そこで、ご質問やご不明な点があったら、どんなことでも結構ですからご遠慮なくReで専用欄としますので、是非、お尋ねください。