青木富士ですね、素晴らしい家紋です。 この家紋を使用されているなんてちょっと羨ましいですね。 大事に守っていってください。
ルーツ探しをしています。どなたか教えて下さい。青木孫太郎より後のご先祖様方が、どのように直規ー直益ー直政(祖父)に繋がるのかが判りません。愛宕山下の青松寺と青山墓地にお墓があります。この↑青木富士を描かれた方 何かご存知でしたら何でも結構ですので教えて下さい。よろしくお願いします。
直規さんは青山墓地にいらっしゃいますね。先日、お墓の周りの植木を綺麗にいたしました。 孫太郎さんはすごい昔なのでわかりませんが、青木本家からですと、可直→直澄→直正→直宥→直アキ→直美→→直カゲ→直道→直興→直規→直孝→直敏→直平→直大 と続いております(青木本家ではなく、旗本五千石青木家)。 直益さんは十一代の直孝さんの御兄弟ですね。 現在、第十三代の直平さんは鹿児島にご在住です。
明細短冊で旗本青木家(知行地は摂津・美濃)のものをみると、「天保十二丑年十一月四日養父伝三郎跡式相違なく下し置かれ寄合罷成、安政五午年八月九日上野 御廟において火之番仰せ付けられ相勤め申し候」(書き下し文) 「青木孫太郎 亥歳三十九」とあり、安政五年以降の亥年は文久三年。 「養祖父 青木熊次死、実は叔父寄合 養父 青木伝三郎死、実は叔父寄合 実祖父 青木九十郎死、寄合 実父 青木主馬死、青木九十郎厄介」 知り合いの方からは、天保12年の日置流の免許皆伝の巻物に、青 直規公(青木直規)宛ての書付のコピーを見せてもらい、調べていくと、子孫に孫太郎の存在が出てきた。ただ安政五年に上野御廟の火之番をやっている孫太郎は、天保十二年に相続している。養父伝三郎の跡式という。直規は天保十二年に免許皆伝の書付をもらっているので、年代的に言って、養父伝三郎が直規の可能性が高いと思われる。
先日付青山墓地へ。しかし場所が判らず帰りました。残念。受け付けでも教えて貰えなかった。 |
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へたですが家の家紋です。
いや、うまいです 笑 良く描けてますよ。 |
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