以下の内容は大阪百樹から引用し、かんりにんが編集したものです。

アオキAucuba japonica

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ミズキ科アオキ属
Aucuba: 青木葉(あおきば)
japonica: 日本の

花言葉:永遠の愛


 艶やかな緑の葉に、楕円形の真紅の実が房のようになる青木は、色の少なくなった冬の景色に明るさを添えてくれます。 アオキは日陰でもよく育ち、しかも、あまり大きくならない潅木ですから、 公園樹木や庭木としてよくつかわれています。とくに美しい斑(ふ)の入った品種や、 葉の形の珍しい品種が多く、少し大きな庭のある家なら必ずといっていいほど植えられています。 最近は、高いビルに挾まれた日の当らない場所での緑化材料として使われている場合も多いようです。

アオキの雄花 アオキの雌花  アオキはヒマラヤから日本にかけて3種類が知られ、ことに、日本では江戸時代から栽培され、どこの庭にもあたりまえのようにみられます。一方、イギリスに渡ったアオキがあります。この木の赤い実と斑(ふ)入りの葉の美しさにひかれて、ジョン・グレファーが1783年イギリスに輸入したものが最初だといわれています、 この時は雌雄異種であることが分からず、黄色い斑のある雌株だけが導入されたため実がみのりませんでした。しかし、アオキは雌雄異株で、イギリスに渡ったのは雌株だけでした。花はつくものの、雄株がなければあの独特の美しい赤い実はつきません。それでも、ストーブのそばや温室のなかで、大切に、大切に育てられ、ゴールド・プラント(黄金の植物)とか、斑入りのローレル(Variegated laurel)とよばれていました。というのも、最初に渡ったのは葉に黄色い斑の入った種類だったからです。

 やがて、雄株への憧憬はますます強くなり、とうとうロバート・フォーチュンという王立園芸協会の植物採集家が日本にやってくることになりました。 そうしてフォーチュンの苦労が実り、棯性(ねんせい:発芽能力)のある実がつくようになりました。 時間と労力と費用をかけて取りに来るだけの価値を持った木だ、と当時の日記に記しているそうです。当時イギリスから日本に来るには相当な苦労があった事でしょう。  1861年(文久1年)、江戸品川にあったイギリス公館が水戸藩の浪人によって襲撃されるという騒然とした年です。それでも、彼は「真紅の実をいっぱいつけたアオキで、我がイギリスの窓辺を飾りたい」という、旅だったようです

 アオキには葉の形のほか、斑の色、形によってたくさんの品種が記載されています。 また、実の色も、普通は赤い色ですが、なかには赤くならず、 うすい緑色のまま成熟するものがあって、例えば、シロミアオキ、キミノアオキなどという品種が記載されています。 保育社の「野山の木」の著者である堀田満先生のお話では、 アオキの色には赤くなるもののほか、一部だけ赤くなるもの、赤くならないものなどいろんな変異があって、 その性質は比較的安定しており、また、場所的な分布も比較的よくまとまっているそうです。 つまり、実の色はいろいろあっても、でたらめに赤くなったり、ならなかったりするのではなく、 遺伝的にかなり固定されているわけです。

 こんなふうに、一つの種の中でいろいろな変異がみられるのは、 その種がいろんな方向へ向かって進化しつつある途中の様相をしめすものとして、 生物進化を考える上で非常に興味ぶかい現象でもあります。

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